<Header>
<Author: 杜甫>
<Title: 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 嚴鄭公が廳事の岷山沱江の圖を觀奉る >
<BookPage: 325-327>
<UsedPage: 3>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
沱水流中座，
岷山到此堂。
白波吹粉壁，
青嶂插雕梁。
直訝杉松冷，
兼疑菱荇香。
雪雲虛點綴，
沙草得微茫。
嶺鴈隨毫末，
川蜺飲練光。
霏紅洲蘂亂，
拂黛石蘿長。
暗谷非關雨，
丹楓不爲霜。
秋成玄圃外，
景物洞庭旁。
繪事功殊絕，
幽襟興激昂。
從來謝太傅，
丘壑道難忘。
<End Poem>
<Translation>
沱水の流れが座席のなかに流れ、岷山は北の堂へつづいてそびえている。白い波が白壁に吹きつけるようで、青い高峯が彫刻した梁に届くように見える。おやと、杉や松の林の冷氣がせまるかといぶかしく思われ、また菱やあさざの香がただうてくるのではないかと疑われる。雪雲がきれぎれにつづいて浮かんでいるのも、よく見れば、もちろんえがいたもの。川邊の砂地にはまた草は遠くへかすんで、さながらにはてしない思いをさそう。嶺の上を越えて飛ぶ雁は、こまかい筆のさきで、小さい羽毛が精密に生かされ、川にかかった虹は、さながら白絹のような澄んだ水の光を飲んでいるように思われる。紅の點をちらしたのは中洲の花が咲きみだれたのだ。黒い顔料をすうとひいたのは、石にまつわる蔦かずらの長いつるだ。谷がほのぐらくなっているのも雨が降っているわけではない。欄が紅葉しているのも霜のせいではない。(みんな微妙な筆のタッチなのだ。）かなたには秋づいた町の城郭が見えるが、この世のものとは見えず、神仙のすむ玄圃のそれではないかと思われる。風景は大きい洞庭湖がここにあらわれ出ているようにも思われる。じつにこの畫筆の妙はすばらしいもので、自然にひきこまし、ものしずかな奥深い情操が無限に湧き出てくるおもいである。むかし、晋の謝安石は、四十歳ごろまでは臨安の山中に放浪して、心ゆくまで山水をたのしまれたが、後に天子を輔佐する宰相の重職に任じ、中國の安危を一身に負われたときになっても、山水に思いをはせられることは一生かわらなかったという。嚴鄭公も成都で劍南節度使という重大で煩忙な要職にありながら、このような自然そのものをもってきたような、山水の畫を廳舎の壁にかけて眺められるということは、 まことにおくゆかしいかぎりである。
<End Translation>
<Formatted Translation>
沱水の流れが座席のなかに流れ、
岷山は北の堂へつづいてそびえている。
白い波が白壁に吹きつけるようで、
青い高峯が彫刻した梁に届くように見える。
おやと、杉や松の林の冷氣がせまるかといぶかしく思われ、また菱やあさざの香がただうてくるのではないかと疑われる。
雪雲がきれぎれにつづいて浮かんでいるのも、よく見れば、もちろんえがいたもの。
川邊の砂地にはまた草は遠くへかすんで、さながらにはてしない思いをさそう。
嶺の上を越えて飛ぶ雁は、こまかい筆のさきで、小さい羽毛が精密に生かされ、
川にかかった虹は、さながら白絹のような澄んだ水の光を飲んでいるように思われる。
紅の點をちらしたのは中洲の花が咲きみだれたのだ。
黒い顔料をすうとひいたのは、石にまつわる蔦かずらの長いつるだ。
谷がほのぐらくなっているのも雨が降っているわけではない。
欄が紅葉しているのも霜のせいではない。(みんな微妙な筆のタッチなのだ。）かなたには秋づいた町の城郭が見えるが、この世のものとは見えず、神仙のすむ玄圃のそれではないかと思われる。
風景は大きい洞庭湖がここにあらわれ出ているようにも思われる。
じつにこの畫筆の妙はすばらしいもので、自然にひきこまし、ものしずかな奥深い情操が無限に湧き出てくるおもいである。
むかし、晋の謝安石は、四十歳ごろまでは臨安の山中に放浪して、心ゆくまで山水をたのしまれたが、後に天子を輔佐する宰相の重職に任じ、中國の安危を一身に負われたときになっても、山水に思いをはせられることは一生かわらなかったという。
嚴鄭公も成都で劍南節度使という重大で煩忙な要職にありながら、このような自然そのものをもってきたような、山水の畫を廳舎の壁にかけて眺められるということは、 まことにおくゆかしいかぎりである。
<End Formatted Translation>